ちょっとお天気が心配でしたが何とか曇天で行けそうです。
忘れもしない平成元年11月3日の開場記念日は、雲一つない紺碧の空でした。
■1989年(平成元年) 11月3日 大栄カントリー倶楽部開場日
本ゴルフ場は、上田治、井上誠一、ジャックニクラウスなどの巨匠の設計なる名門コースをはじめとして、全国に約800ホールズのゴルフコースを創り出した大日本土木株式会社の施工により、そのノウハウのすべてを結集した自社運営初のモデルコースとして開場した。
■大栄カントリー倶楽部設立発起人
安田 梅吉 大日本土木株式会社会長
加藤 隆一 株式会社東海銀行会長
山地 進 日本航空株式会社社長
田口 栄 大日本土木株式会社社長
■最終募集会員数(888名)
1次募集 3,000万円
2次募集 4,500万円
3次募集 6,000万円
■開場記念日の祝典模様
雲一つない紺碧の空に競技開始の打ち上げ花火の轟音が高らかに響き渡ると、クラブハウス正面に設置されたカラフルな風船のアーチが一斉に解き放たれ、緩やかに天空に舞い上がった。そして、二度目の打ち上げ花火の音が轟くと、200羽の白い鳩が満を持してクラブハウスの周囲を2~3度回りながら色彩豊かな風船の舞い上がる空の彼方に消えて行った。
まさにバブル絶頂期の豪奢な絢爛絵巻を見るような開場記念日の情景には、会場から歓声やため息が漏れるほどだった。
政財界のお歴々が多数参加した競技会、そして圧巻の祝典には、時の金丸副総理が祝杯を挙げ、「大栄カントリー倶楽部は日本一のゴルフ場だ」と最大の賛辞があったのも脳裏に鮮明に刻まれている。
東京バンケットからのホステスが30名、司会はTBSの木村アナウンサー、なぜか神楽坂の芸者衆までが勢揃い、破竹の勢い、当時隆盛を誇った大日本土木社長の意気込みは圧巻だったとしか言いようがなかった。
あれから30年、山あり、谷あり、三谷あり・・・?
平成3年の湾岸戦争最中のハワイへ社員旅行(凄くいい時代でした)
そして、平成14年の倒産
再建16年目の30周年を明日迎えます。
あれから30年過ぎてみれば早いもので、あれだけ元気だった星野秀夫様も10月6日にご逝去なされました。
大栄カントリーが大好きだっただけに、せめて30周年の開場記念日までは、元気でゴルフを楽しんで欲しかったと思います。
青い空を見ると懐かしくて涙が出ます。
本当に大栄カントリー倶楽部が大好きでみんなを可愛がってくれました。
明日は、朝一番で愛車のベンツに乗って「おはよう!」って来そうな気がします。
大栄カントリー倶楽部を一番愛した星野秀夫様のご冥福を改めて祈り申し上げます!